オリックス・バファローズの歴史を歴代タイトル受賞者と共に振り返る【暗黒の00年代編】

前書き

前回の続きである。
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今回は21世紀のオリックスを振り返っていく。

球団史上最悪の暗黒時代と球団合併、そして低迷(2002〜2007年)

オリックス・ブルーウェーブ大阪近鉄バファローズと合併し、オリックス・バファローズとなったのは2005年である。
それまでに何が起こったかというと、貧打の2002、投壊の2003、合併の2004である。特に2004年は1リーグ制問題もあって、NPB全体でストライキを起こすほどまで発展した。当時をよく知る人なら覚えているかもしれない。スター選手だったイチローや田口が去った後、かつての神戸の球場は閑古鳥が鳴いていた。日ハムには新庄が来て、ロッテはボビー・バレンタインダイエーは黄金期であった為、人気は最底辺にいた。

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閑古鳥が鳴く神戸

実力はと言うと、チームは最下位常連、挙げ句の果てには2003年、ダイエー戦で29-1で惨敗(日本記録)して、1週間(6試合)で101失点、20失点を連発、1年間の防御率(投手が自分の責任で何点取られるか)は5.95、927失点はプロ野球記録をダントツで塗り替えてしまった。草野球じゃないんだから。

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悪夢の29-1

そんな暗黒時代でも一筋の光のごとく輝く選手たちは確かにいた。自分は(チームが弱いのは困るが・・・)そんな暗黒戦士が結構好きなのである。
特に目立つのは谷佳知である。かつては田口・谷・イチローと最強の外野陣を組んでいた彼だったが、若手の谷だけがチームに残され、暗黒時代を牽引する存在となってしまった。ただ実力に関してはイチローが「天才」と認めるほどである。金田政彦に関しては、最優秀防御率なのに4勝9敗。彼を援護するが戦の弱さと守備のボロさのせいで「どうして負け越してるの!?」と思わざる得ない迷記録になってしまった。金田ともに暗黒期を支えた具 臺晟や合併後のエース・川越秀隆もこの時代である。村松有人に関しては、屋外球場に憧れてオリックスに入団したのに、合併後ホーム試合の半分が大阪ドームになるせいで、結局人工芝の呪縛からは逃れられなかった。この時代は何かと不遇な選手が多い・・・。

タイトル受賞者

ベストナイン

ゴールデングラブ賞(守備の優れた選手に贈られる)

年度 順位 監督
2002 6 石毛 宏典
2003 6 石毛→レオン
2004 6 伊原 春樹
2005 4 仰木 彬
2006 5 中村 勝広
2007 6 T.コリンズ

野球を知らない方の為に説明するが、6位=最下位である。そもそも監督が短期で交代するせいで、チーム方針がブレブレになる。この時代は育成期間を我慢できなかったことがチームの低迷が長期化した原因だと感じる。しかも2005年に「ほぼ二軍」状態でスタートした楽天イーグルスに3年で順位が抜かれるのはダメでしょ、とファンはぼやく。

ビッグ・ボーイズ打線!浪速の豪砲!交流戦優勝!(2008〜2012年)

ここまでオリックスの歴史を見てきたが、「オリックス・バファローズ」は2005年からスタートした球団である。しかし個人的に本格的に「オリックス・バファローズ」が始動したと感じたのは2008年と2011年である。2008年はチームの野球がようやく上手く進んだ記念の年で、西武・巨人で活躍した名選手・清原和博が引退した年でもあった。2011年にはチームカラーが一新!球団マスコットのネッピー・リプシーが引退し、バファローブルバファローベルが誕生。ユニフォームも現在の紺と金で構成されたデザインが取り入れられた。

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バファローブルバファローベル

タイトル受賞者

ベストナイン

ゴールデングラブ賞(守備の優れた選手に贈られる)

この時期、実績十分の外国人選手の獲得によりビッグボーイズ打線を形成していた。2008年はコリンズ監督から大石監督へ交代すると、チームは5位から2位まで浮上した。当時は小松・山本・金子・木佐貫・近藤の投手陣に加え、救援の岸田、抑えの加藤、打線は坂口・後藤・カブレラ・ローズと投打が噛み合った。しかし2009年この打線陣は怪我で崩壊、当たり前のように最下位となった。2010年には交流戦優勝・T-岡田本塁打王、2011年は8回平野・9回岸田は盤石ながらAクラスまであと一歩だった。2012年は韓国の三冠王李大浩が活躍し、西がノーヒットノーランを達成したものの、チームは開幕からつまづき最下位。球団フロント(オリックス)が珍しく、監督を我慢して起用したが、名将・岡田彰布でもAクラス(1〜3位)には入れなかった。

今思えばこの時期は若手投手陣がしのぎを削っていた印象である。木佐貫・西・金子・小松・近藤・中山・岸田・平野。このチームはつくづく投手の育成はそこそこ上手だと感じるが、如何せん投手運用が下手で、せっかく育ってしまった投手も酷使で壊してしまうケースが多い・・・。一方野手は全く育成できておらず、高卒選手で活躍したのはT-岡田のみ。継続して活躍できる選手が少ない上、野手育成の穴を外国人で埋めようとするが、シーズン通して活躍できないと層の薄さがバレてしまう傾向にある。

年度 順位 監督
2008 2 コリンズ→大石
2009 6 大石 大二郎
2010 5 岡田 彰布
2011 4 岡田 彰布
2012 6 岡田 彰布

次回

6チームしかいないのに11年間で6度の最下位。次回は現在までのオリックスを語ります。
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