オリックス・バファローズの歴史を歴代タイトル受賞者と共に振り返る【黄金の90年代編】
前書き
オリックス・バファローズの歴史を歴代のMVP(最優秀選手)・タイトル受賞者・ベストナイン・GG賞と共に振り返る企画である。
オリックス・バファローズは元をたどれば、阪急ブレーブス(1936~1988)から続く名門球団。
しかし1989年に球団運営権が阪急からオリエント・リース(現・オリックス)に譲渡された後、
1989年にオリックス・ブレーブス、1991年にオリックス・ブルーウェーブ、2005年に近鉄バファローズと球団合併を行い、現在のオリックス・バファローズが誕生した。今回振り返るのは、オリックスが球団運営をスタートさせた1989年からとなる。
西宮のブレーブスから神戸のブルーウェーブへ(1989〜1993年)
阪急時代の大エース・山田久志と世界の盗塁王・福本豊が引退したのは1988年。ブレーブスは新たな時代へ移り変わろうとしていた。
球団カラーも赤→紺へと変わる。
当時、チームを引っ張っていたのは、三冠王・ブーマー.Wや肩脱臼事件で有名・門田博光、スイッチヒッター・松永浩美といった阪急時代の主力がメインであり、加えて頭脳派・長谷川滋利や遅球のファンタジスタ・星野伸之がチームを引っ張るようになる。この時の打線名がブルー・サンダー打線。
1991年になるとチームに大きな衝撃が走る。それは...球団名改称・本拠地移転です。元々阪急時代から活用していた西宮球場(現・阪急西宮ガーデンズ)から神戸市のグリーンズタジアム神戸(須磨区)へ移転し、オリックス・ブルーウェーブに改称されたのだ。
タイトル受賞者
ゴールデングラブ賞(守備の優れた選手に贈られる)
こう見ると攻守共に優れた選手が集まっていることがよく分かる。野田浩司や佐藤義則など投手陣を現オリックス監督・中嶋聡が支える。
現在と特に違うのは、内野陣の層の厚さである。一塁ブーマー・二塁福良・三塁松永・遊撃小川とベテランから若手まで賞を獲得している。
上田利治監督が築き上げた常勝阪急時代からの遺産と言うべきであろうか?実際にこの時期の順位を見てみよう。
優勝はできていないが上位には必ず食い込んできている。当時はこれでも暗黒時代と呼ばれていたらしい(笑)
年度 | 順位 | 監督 |
---|---|---|
1989 | 2 | 上田 利治 |
1990 | 2 | 上田 利治 |
1991 | 3 | 土井 正三 |
1992 | 3 | 土井 正三 |
1993 | 3 | 土井 正三 |
がんばろう神戸と天才・イチロー、名将・仰木彬(1994〜2001年)
世界一の安打製造機としてメジャー・リーグでも殿堂入り確実なイチローが覚醒したのは1994年である。
1994年、20歳のイチローが前人未到の210安打、驚異の打率.385を打ち立てた。選手名も当時は画期的なカタカナで「イチロー」であったことから、『イチロー』は不人気のパリーグ球団としては異例の「新語流行語大賞」を受賞した。1995年、阪神淡路大震災が発生し、甚大な被害を受けた神戸市を勇気付けるために、「がんばろう神戸」をスローガンに掲げ、オリックスは1995年にリーグ優勝、1996年には日本一を成し遂げる。この3年間がオリックス球団にとって、最高の黄金期である。
この黄金期の主役だった選手を一人挙げるとするならば、それはイチローである。しかし彼をプロデュースしたのは、名将・仰木彬監督である。そもそもまだ実績も残していない鈴木一朗に改名を勧めたのは、仰木監督であり、この時既に「鈴木一朗は只者ではない」と見抜いていたのである。
仰木監督が築いた自由度の高いチーム作りが野茂英雄やイチロー、田口壮などのアメリカでも活躍できるメジャーリーガーを輩出する理由になったのかもしれない。
タイトル受賞者
ゴールデングラブ賞(守備の優れた選手に贈られる)
- 【捕手】高田誠(1996)
- 【二塁手】大島公一(1996,1997,2000)
- 【三塁手】馬場敏史(1995,1996)
- 【外野手】イチロー(1994-2000)
- 【外野手】田口壮(1995-1997,2000,2001)
イチロー以外のメンバーを見てみると、新人からブルペンを支えた平井正史、本塁打王・ニール、後にメジャーリーグでワールドシリーズ制覇を成し遂げる田口壮など錚々たるメンバーが集結している。しかしチームは若手だけでは勝てない。上述の阪急時代からの中堅・ベテラン勢がチームを支え、若手・中堅・ベテランが見事に機能したチーム編成である。仰木政権時の順位を見てみよう。基本的にAクラス(1位〜3位)を維持しているが、2000年になるとまさかのBクラス(4位)に転落する。1997〜2000年頃のイチローは、日本でプレーすることが退屈なのではと感じさせるレベルに到達していた(ちなみに自分はこの辺のイチローが結構好きです)。2000年にイチローがアメリカへ、2001年に田口・長谷川がアメリカへ行くと同時に、仰木監督が退任。球団史上最悪の暗黒時代へ突き進む事になる。
年度 | 順位 | 監督 |
---|---|---|
1994 | 2 | 仰木 彬 |
1995 | 1 | 仰木 彬 |
1996 | 1 | 仰木 彬 |
1997 | 2 | 仰木 彬 |
1998 | 3 | 仰木 彬 |
1999 | 3 | 仰木 彬 |
2000 | 4 | 仰木 彬 |
2001 | 4 | 仰木 彬 |
次回
暗黒時代を支えた選手たち編です。
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